ヤマふぉと

山の自然や風景をゆったりと眺め、写真を撮るために山に登る。だから、登頂や縦走を目的とせず、好きな山域でテントを張ったり小屋に連泊して、カメラ片手にのんびりと過ごす。そんなスローな山登りを楽しんでます。

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夜叉神峠より

ただいま下山中です。北岳、輝いてます。
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昨晩届いた訃報

昨晩、「訃報」とタイトルがついたメールを受け取りました。3月11日ということで、いったいなんだろうと思いながら開いてみると、学卒で入社した会社の同期会からでした。


まだバブルのなごりが色濃い時期に入社したこともあり、同期は数百人という人数で、同期会と言われても正直ほとんど知らない顔ばかりですが、その訃報にかかれていた名前は見覚えのあるものでした。いや、見覚えがあるというレベルではありません。数多い同期入社の中から、ただ二人同じ部署に配属されたその人の名前でした。


僕は総合職でしたが、彼女は一般職ということで、配属時期は彼女のほうが少し早く、僕が配属されたときにはすっかりなじんでいて、仕事もてきぱきとこなしていました。彼女は僕が配属された課付きの秘書だったので、伝票の処理をはじめ、いろいろなことでお世話になりました。


3年後、僕は配属転換で部署を移動し、勤務先も変わったので、ほとんど会うことはなくなりました。そして、転職したり東京から岡山に戻ったりで、最後に会ったのがいつだったのかすらよく覚えていませんが、なぜか今でも年賀状だけはやり取りしていました。


メールには、10日の朝に病気で亡くなられたとしか書かれていませんでしたが、お酒が好きでちょっと姉御肌の彼女が闘病生活を送っていたなんてまったく思いも寄りませんでした。いったいいつから入院していたのか、どんな病気だったのか、何も知らないまま永眠したという事実だけを知ることになり、とまどいと信じられない気持ちでなにかが胸につかえたような気分です。


彼女にはまだ未成年のお子さんがいたと記憶しています。これからお子さんの成長を見守りながら未来へ夢と希望をつなぐことが楽しみだったはずでしょうから、きっと後ろ髪を引かれる思いだったに違いありません。まだ40代という若さを思うと、残念でなりません。


彼女のご冥福を心よりお祈りいたします。

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友の死と果たせなかった約束

”君の掌を
胸の上
さあそっと押し当てて
脈を打つその鼓動
しっかり聴くんだ
どんな悲しみに出会っても
生きてれば何とかなる
負けそうになったら
勇気は左の胸に・・・”


カーラジオから流れてきた歌の詞を聴いたとき、心の奥にしまいこんでいたある出来事が突然よみがえってきました。


記憶の彼方からよみがえってきた出来事とは、苦悩の中で自ら死を選んだ友のことと、彼とかわした約束のことです。


それは、2004年3月のことでした。当時、僕はサラリーマン生活に嫌気がさし、自分の生き方を考え直すため社会人入試制度を利用して2度目の大学生になっていました。もともと文科系だったのですが、環境問題に関心があったことから環境工学を専攻する学部に編入学したのですが、すでに記憶の彼方にとんでいた理数系の教科に苦戦しつつも、なんとか卒業にこぎつけていたところでした。


2度目の学生生活ということで、さすがに合コンだのクラブ活動だのという遊び系のことには縁遠く、大学へは単に講義を聴きに行くだけという感じでしたが、多少なりとも興味のあった国際ボランティアのサークルの催しに顔を出したのがきっかけで、そのサークルに時々参加するようになりました。サークルの主催者でもあったA君は医学部の学生で、医師になって国境なき医師団のような国際ボランティア活動をすることを夢みていたまっすぐな青年でした。


すでに社会人経験をつんでいてわりと物事を冷めた目で見がちなところがあった僕からすると、A君の夢や理想はややもすると青臭いと感じるところもありましたが、その純粋でひたむきな気持ちはまぶしく、うらやましくもありました。


卒業論文の製作に取り掛かるころになるとさすがに忙しくなり、そのサークルに顔を出す機会は少なくなり、2003年の秋になった頃にはすっかり縁遠くなっていました。噂で、A君は米国に短期留学したという話を聞き、夢に向けて着実に努力しているんだなあと感心していました。ところが、その留学が彼のまじめで一途な性格には逆効果だったらしく、留学から戻ってきてからは人が変わったように内向きな性格になってしまったらしいのです。


後から聞いた話ですが、どうも留学先で自信を喪失するような経験をしたらしく、それ以来ふさぎこみがちになったようです。当時はそんなことはまったく知るよしもなく、自分の卒業論文を仕上げるのにいっぱいいっぱいの状況でした。


年が明けて、なんとか期日に間に合うように卒業論文を提出することができ、あとは卒業を待つばかりというのんびりムードのところに突然飛び込んできた悲報。それは、A君が亡くなったというものでした。最初は交通事故かと思ったのですが、実は自ら命を絶ったということで、しばらく彼と会っていなかった僕にとっては、にわかには信じられない話でした。


告別式で、サークルのメンバーから留学後にA君がうつ状態になっていたことを聞き、自分の卒業論文のことだけにかまけていた僕には大きなショックでした。2004年1月に一度彼がなにか悩んでいるという話を聞いて、考えすぎないようにとメールをしたことがありました。その時にはもう気にしないで生活を立て直すという返信をもらっていたので、まじめすぎるがゆえにちょっとしたことを大げさに考えすぎていたのだろうという程度に思っていて、うつ状態になるほど深刻に悩んでいたとはまったく想像もしていませんでした。もしも彼の状況を知っていれば、年上の友人として、彼の悩みを聞き、何らかのアドバイスをすることができていたかもしれません。たいしたことは言えなかったとしても、命を絶つようなことは思いとどまらせることができたかもしれないと思うと、自分の無力さとふがいなさにどうしようもない苛立ちを覚えました。


そのうえ、A君とある約束をしていたことを僕は完全に覚えていなかったのです。当時、僕は巨樹めぐりにはまっていて、樹齢数百年以上の巨樹を探して訪ね歩き、写真を撮っていました。その堂々たる風格や、長い年月を生きてきた生命力に大きな魅力を感じていたのです。自分ではまったく覚えていませんでしたが、その話をどうやらA君にしたようで、彼も興味をもち、一緒に見に行く約束をしたらしいのです。話の流れで安請けあいしてしまったようなのですが、A君はかなり本気で興味を抱いたらしく、サークルのメンバーにその話しをして、連れて行ってもらうのを楽しみにしていると言っていたというのです。


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A君が深い苦悩にさいなまれていたことを知らなかったばかりか、彼とかわした約束すら覚えていなかったのです。僕は何もできませんでした。彼の悩みをわずかでも軽減してあげることも、彼の悩みを聞いてあげることもできませんでした。あの約束をちゃんと覚えていて、風雪に耐えて数百年、ときには千年以上の年月を生き抜いてきた巨樹にもしも彼が直接触れる機会をつくることができていたら、もしかしたら生きることのすばらしさをもう一度彼に思い出させることができたのかもしれない。思い上がりかもしれませんが、そんな想いがあれ以来ずっと心の奥底にくすぶっています。それは、決して消えることのない火種のようにくすぶり続け、これからも何かのきっかけでときどきぽっと燃え上がるに違いありません。


”そんなに
弱くない弱くない
ホントの君を
知っている知っている
君ならできる
もう一度立ち上がってみようよ

君の掌を
胸の上
さあそっと押し当てて
脈を打つその鼓動
しっかり感じろよ
どんな暗闇に迷っても
生きてれば出口はある
絶望する前に
勇気は左の胸に・・・”
(乃木坂46 「 左胸の勇気 」)


せめて彼にそんな言葉をかけてあげることができていたら、少しは違う結果になっていたのでしょうか。そして、あの約束を果たすことができていたら、彼に違う未来を描かせてあげることができていたのでしょうか。どんなに悔やんでも、もうあの約束を果たすことは決してできません。


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